健康を求めて
当たり前のことですが、我々は病気やケガなどで健康を失ったときに、はじめて健康のありがたみが分かります。「五体満足」という言葉は健康であるときには気づかない意識であり、身体を壊したときに、元の万全な状態を取り戻そうとする自己確認作業でもあります。
病気やケガをすれば誰でも、何をすべきかがすぐにでも理解できるはずです。痛みはあるべきではなく、腕や脚は自由自在に動くべきですし、心も安定し、早く復職しなければいけません。整体、鍼灸、カイロプラクティック、オステオパシーなどの治療を受診するのもひとつの手段です。
しかし、健康とは単に「病気ではないこと」でしょうか。病気ではないとか、病院での検査結果が異常数値ではないという意味だけではとても浅く、ネガティブです。健康という概念は単純かつ微妙なものであり、もっと複雑な意味合いが込められているのです。健康(health)の語源的意味は「全体」です。この言葉はwhole(すべての)、hale(健全な)、holy(神聖な)などと同じアングロ・サクソン語に由来しています。
あるべき全体像とは、単に構成要素(遺伝、肉体、精神、霊性、環境、仕事、才能、社会、生活習慣、食事等)がすべて揃っているだけではなく、それらが調和的に統合され、バランス良く配置されているものです。バランスは健康を意味するときの全体がもつ、もうひとつの側面です。ただ、このような構成要素をバランス良く備えている人は少ないでしょう。例えば、持病はなくても非合法な仕事で大金を稼いでいる人や、他人の批判ばかりしている人は、果たして健康といえるのでしょうか。
ふだん、我々は先祖から受け継いだ遺伝子や、騒音、振動、大気汚染、水質汚濁、化学物質、ウイルス、細菌、電磁波、食品添加物、放射能、紫外線、老化、肉体疲労、人間関係の不和にさらされながら生活しています。この、日常の大波小波に揺られながら、波にさらわれないようバランスをとろうとして疲れ、身体を壊しますが、整体、鍼灸、カイロプラクティック、オステオパシーなどの治療によって回復する人も多いのです。
昨今、ホリスティック医学という言葉をよく耳にするようになりました。ギリシャ語で「全体性」を意味する「ホロス(Holos)」を語源としています。Holosから派生した言葉が、前述したWhole(すべての)、hale(健全な)、holy(神聖な)などです。ホリスティックの字義は、もともと1926年にジャン・クリスチャン・スマッツという思想家が初めて使ったホーリズム(Holism)「全体論」という言葉です。
ホーリズムとは、「臓器や細胞などといった部分に分けて研究し、それらを総合したとしても、人間全体をとらえることはできない。一個体は孤立するのではなく、それを取り巻く環境すべてと繋がっている」という考え方です。現在、ホリスティックは、「全体」、「関連」、「つながり」、「バランス」といった意味をすべて包含した言葉として解釈されています。
健康な状態、病気の状態にかかわらず、人間の身体というものは、常に全体的にとらえる必要があります。ここでいう人間の身体とは、肉体・精神・心・霊魂の総体であり、人間そのものを指します。ゆえに、健康、あるいは健康破綻としての病気について考えるということは、人間について考えるということです。なぜ、身体を壊したのか、もっと本質的な部分に言及するなら、なぜ、不運を招いたのか(病気を不運の一つと捉えると)、という原因を多方面から探っていくという作業です。人間は誰しも、皆幸せになる権利があります。
ホリスティック医学をひと言でいうならば、人間をまるごと全体的にみる医学といえます。これは病気だけに限定されるものではなく、整体、鍼灸、カイロプラクティック、オステオパシーなどの手技療法による治療も含まれます。当院もホリスティックに則り、局所だけを診るのではなく、全体と全身を診るようにしています。
したがって、健康とは「病気ではないこと」ではなく、「精神・身体・環境・経済・人間関係がほどよく調和し、現状において最良のクオリティ・オブ・ライフ(生活の質)を得ている状態」と考える、よりポジティブな概念のことといえましょう。